ヴァンパイア春香さん

117 名前: ('A`) 投稿日: 2011/10/23(日) 17:22:45.51 0
 所々ペンキが剥がれた古臭い壁。薄暗い照明は時折点滅を繰り返していて
今にも消えてしまいそうだ。元々はあるレコーディング会社の収録室だったらしいが、
その会社が出ていってからは不動産屋も録に管理をしていなかったらしい。
「ね、ねぇ千早ちゃん…やっぱりこんなのやめよう?私、怖いよ…」
だがそんな事は余り私には関係なかった。私はここを私的なレッスン場として使うつもりは
ないし、もちろん次の住居にするつもり等さらさらない。
「あれ?…あ、あの千早、ちゃん?私トイレ行きたいからドア開けて欲しいなーなんて」
高価な録音機器も、快適な家具も必要ない。必要なのは邪魔が入らない外から遮断された空間なのだ
「…やだ、千早ちゃん私やだよ…もうあんなのやだよおっ」
後はね春香、貴方さえ居てくれればいいの。
私は懐からナイフを取りだすと扉にすがり付く春香に向かってゆっくりと歩き出した。

120 名前: ('A`) 投稿日: 2011/10/23(日) 21:03:31.14 0
「やだ、やだやだやだぁっ!やめて、出してえっ!」
春香は私がナイフを持って近付くとより一層怯えだした。
私は少しばかり落胆した。これでは前と全く同じではないか。
「何が怖いの春香?私は春香にひどいことしようなんてちっとも思ってないのよ?」
「だっ、だって、だって千早ちゃんはっ…この前みたいにっ、私のことっ」
ああ、そうか。春香はまだ理解してくれていないのだ。私と春香だけに許された特別な
行為の意味を。だとしたら誤解をといてあげなければ。言葉だけではなく実践によって。
「大丈夫。今度はきっと春香にもわかってもらえると思うから。」
私はにっこりと笑うと春香の喉にナイフを突き立てた。
「ぁ…ひっ…」
春香の口から空気が漏れる様な音が聞こえると、その後すぐに
真っ赤な血液が水源の様に涌き出てきた。
ナイフを握った手には暖かい血液が流れて来て、まるで春香と手を繋いでいるかの様な錯覚さえ覚える。
「春香は、あったかいのね。もっとちょうだい…」
春香の顔を掌で包み込み、じっと見詰める。
「ち…はや、ちゃ…?」
春香。優しい春香。暖かい春香。春香が欲しい。全部欲しい。
ああ、こんなにこぼしてしまって勿体無い。全部私の物だから…。
「んっ…ちゅぱっ…んぐ、んっ」
気がつくと私は春香の唇をふさぎ、溢れ出す鮮血を飲み下していた。
むせそうな鉄の臭いに混じって微かに春香の匂いを感じる。
「んっ…春香…春香あ…おいしい…」
まだ飲み足りない。もっと飲まなくては。私は喉に刺したナイフを引き抜き、噴水の様に
吹き出す血液に口をつけようとした。
その時だった。ぐったりと力を失っていた春香の腕がいきなり跳ね起き、私を突き飛ばした。
「がはっ、かっ…ひゅーっ、ひゅーっ…」
春香は血で真っ赤に染まった喉元を押さえながらうずくまり奇妙な呼吸を繰り返している。
「はっ、はっ、はーっ…痛いよう…苦しいよお…」


161 名前: ('A`) 投稿日: 2011/10/26(水) 01:22:39.72 0
声が出ているのを見ると、どうやら私が喉に付けてあげた傷はもう塞がってしまったらしい。
「…っ!千早ちゃん、大丈夫っ!?」
床に倒れている私を見つけた春香が急いで駆け寄ってきた。心配そうに私を覗き込む彼女の口の中には、さっきまでは無かった鋭い犬歯が顔を覗かせている。
「千早ちゃんっ、ねぇ千早ちゃんっ!」
春香の腕力はかなりのものだったらしく、結構な勢いで床に突き飛ばされてしまった。背中にじんじんと鈍い痛みを感じる。
「…春香…」
「!…よかったぁ…よかったよお、千早ちゃあん…」
春香がぎゅっと私を抱きしめてくる。だが、私はいつものようにそれに応える気分にはならなかった。
「ねぇ、何でなの春香?」
私の言葉に春香がびくりと震えた。大方私に「大丈夫」、「ごめんなさい」といった言葉を期待していたのだろう。
だが私の中に渦巻いていたのは彼女への不満、怒りでしかなかった。
何故だろう。何故彼女は鋭い牙で私の喉を食い破り、血液を貪ってくれないのだろう?何故あの凄まじい力で私の体をばらばらに引きちぎってくれないんだろう?
私達に必要なのはこんなぬるい抱擁などではない。貴方がいつもほっぺにしかしてくれない子供みたいな口づけなんかじゃない。
「何で、私にも同じことしてくれないの?」
私は自分の首筋にそっとナイフを当てた。きっとここまですれば恥ずかしがり屋の春香も私と同じことをしてくれるに違いない。
そう思うと私の中の春香への怒りはすっかり消え、代わりに嬉しいような、恥ずかしいような何とも形容しがたい気持ちが持ち上がってきた。
「私も随分欲張ってしまったから…遠慮せずたくさん飲んでね、春香。」
私は少し恥ずかしいながらも春香に向けて笑顔を作り、勢いよくナイフを引いた…筈だった。
おかしい。どんなに力を入れてもナイフは一向に動かない。いやそれどころか段々と私の首から離れていくではないか。
「いぃっ…!う、あああ…っ!!」
春香だ。ナイフの刃の部分を両手で掴み私から奪おうとしているらしい。しかもかなり強く握っているので指の隙間からは夥しい血が漏れ出ている。
「う、くぅああああっ!」
だが春香は力を緩めることは無く逆に益々力を強めた。とうとうナイフの柄がミシミシと嫌な音を立て始めた。
その音を聞いた瞬間私の中に残っていた春香への怒りが凄まじい勢いで燃え盛り始めた。春香は私に与える事も、与えられる事すら拒んだのか。
私は躊躇せず春香の手に握られたままのナイフを内側に引き抜いた。
「うあああああああああああっ!!いたい、いたい、いたいよぉっ!!」
周囲にぱっ、ぱっと飛散した血しぶきが飛び散る。手を腹で抱え込む様にうずくまる春香の近くには血の赤に交じって所々肌色の何かが転がっている。
近くに寄って拾い上げてみるとようやく正体が分かった。指だ。ただでさえ尋常でない力で握りしめていたのに勢いよく引いてしまったので何本かは完全に切れてしまったらしい。

162 名前: ('A`) 投稿日: 2011/10/26(水) 01:24:40.43 0
「あっ…うぅ…いたいよ…千早ちゃん…いたいよう…どうして、どうしてこんなことするの…?」
血だまりの上にぽたりぽたりと血でない透明な何かが落ちていく。
「私、千早ちゃんのことわかんないよ…千早ちゃんが私にしたみたいなこと、千早ちゃんにもするなんて絶対やだよっ…」
春香が顔を上げた。彼女は、泣いていた。ぼろぼろと大粒の涙を零しながら。
「もうこんなのやめようよっ!元の優しい千早ちゃんにっ、私の大好きな千早ちゃんに戻ってよぉっ!!…戻ってよ…お願い…」
そう言い切った後春香は両手で顔を抑えて大声で泣き出してしまった。そう、両手で。
「…もう治ったのね、春香。五分も経ってないのに」
体の一部を完全に切り離してしまってもほんの数分で完全に元通りになってしまうなんて。やはり私の本当の気持ちを受け止められるのは世界中で春香一人だけだ。
でも、春香は少しだけ勘違いをしているらしい。これからもっとお互いを理解しあう為にもこれだけは伝えねばならないだろう。
私は未だに泣き止まない春香に歩み寄りそっと抱きしめてあげた。
「!…千早ちゃんっ…」
春香はそれより遥かに強い力で抱き返してきた。相変わらず春香は甘えん坊だ。私はそっと春香の耳に口を近づけると

「これが本当の私だよ、春香。」

後ろ手に持っていたナイフを春香のお腹に突き入れた。

「私はね、春香の全部が欲しい。笑った顔も、怒った顔も、泣いている顔も、怖がってる顔も全部私にだけ向けてほしいの。」
「そして春香に全部を与えてあげたい。嬉しさも、悲しみも、快感も、苦痛も私だけが春香にだけ与えたいのよ。」
「これからはね、もっとたくさん春香に色んなものをあげる。春香はあげるのが嫌みたいだから、その分全部私があげるね。春香、春香、春香…」

殺風景だった部屋は一面がまるで赤いペンキで塗りたくった様に変貌していた。私も同様に白かったシャツは真紅に染め上げられ、五万円以上した大振りのサバイバルナイフは最早
単なる金属製の棒と化している。
そして私の膝の上ではほとんど赤い布きれと化した服を身に着けた春香が昏々と眠っている。
「ん…千早…ちゃん…」
春香の顔が少しだけ悲しそうに歪み、涙が頬を伝って流れた。私はそっと手で涙を拭ってあげようとしたが、逆に手に付いた血で汚してしまうばかりだった。



  • 最終更新:2012-04-26 20:13:38

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