春香事件

808 名前: 春香事件 [sage] 投稿日: 2010/01/15(金) 07:24:22 0
本題に入るより先に、知っておかなければならない話がひとつある。
それは十数年前に起こったある殺人事件の顛末だ。
某所から抜粋したものを以下に写しておくので一読を願う。

 佐山春香事件とは
佐山春香事件とは、1992年1月11日に起こった大量殺人事件。犯人の名前から佐山春香事件と呼ばれる。
死者は55名にものぼり、日本における大量殺人事件では最悪の被害であるにも関わらず
一切の報道がされなかったため知名度は非常に低い。
凶器は包丁1本のみと見られるが、何者の妨害も受けずに55名もの人数を殺害することが
当時16歳だった佐山春香になぜ可能だったかは、現在も議論が続いている。
動機についても、犯人は犯行直後に自殺を遂げているため全くの不明となっている。

 概要
県立Y高校(著者注:事情により校名は伏せる)は、毎年恒例として行われている移動教室のために
国立の宿泊施設を利用していた。佐山春香のいる1年E組と1年D組は同じ棟を利用しており、被害者は
この2クラスの全員となっている。
犯行は午前2時ごろから午前4時ごろまで、極めて短時間で行われた可能性が高いことがわかっている。
前述の通り、凶器は施設の調理室から盗み出された包丁であり、被害者の死因はすべて
(佐山春香自身の自殺も含めて)それによる出血死である。


809 名前: 春香事件 [sage] 投稿日: 2010/01/15(金) 07:25:25 0
当時、生徒たちは1クラスにつき5~6の班を組んで部屋を割り当てられていた。
各部屋は教師による見回りのために鍵をかけることを禁止されており、侵入は容易だった。
まず被害に遭ったのはE組5班で、5名全員の首を包丁で切り裂いて殺害、
そのまま隣の部屋の4班で犯行と、逆順に部屋を渡り歩いて犯行を繰り返したとみられる。
これらは証言をする生存者がいないため科学的調査によって明らかになった。

この事件の最も深い謎は、55名もの被害者を出しておきながら、まったく騒動が起きなかったことである。
深夜とはいえ悲鳴や激しい物音などは一切聞いた者はおらず、早朝まで事件が発覚することはなかった。
被害者たちは各自の布団から移動することがなく、犯行によって目を覚ます者はいなかったと見られる。

これらの異様かつ凄惨な現場から、誤報やパニックが起きる事態を恐れて、
事件の概要がわかるまで数時間の報道規制が行われたことが警察庁から発表されている。
しかしそれが解除されてからもマスコミによる報道は行われず、2002年に関係者によって
ネット上で事件について細やかな説明がされるまで被害者家族をはじめとする一部にしか知られない
半ば都市伝説じみた事件とされていた。
なお、規制解除後も報道がされなかったことについて某新聞社の人間から「(多数のマスコミ業界の間で)密約があった」との発言がある。


810 名前: 春香事件 [sage] 投稿日: 2010/01/15(金) 07:27:49 0
――――――――――――――――――――――――――――――

【春香事件】

天海春香は自室でこのウェブ記事を読むなり、苦虫を噛み潰したような顔をした。
自分と同じ名前の人間が起こした大量殺戮など、知っていい顔ができるはずもない。
彼女はほんの気まぐれで「天海春香」と自らの名前を検索したことを後悔した。
嫌なもの見ちゃったなぁ。明日も収録だし、もう寝ちゃおうか――
春香は冷め切ったアップルティーをひと息に飲み干し、ベッドに潜り込むなり頭まで布団をかぶった。

明かりを消しても、なかなか頭は事件のことを忘れてはくれなかった。
気になるのはやはり被害者たちの摩訶不思議な様子である。
隣で人が殺されてるのに起きないなんて、どんな魔法をかけられたのか。
それに55人もの人間を殺すのに、包丁1本で事足りるとは到底思えない。
やはり被害者は無抵抗に、自分の首が掻き切られるのをじっと待っていたとしか考えられないのだ。

殺戮の現場をリアルに想像してしまい、またしても気を滅入らせた。
もしも私が寝ている間に、殺人鬼が忍び込んで殺しにやって来たら……
よせばいいのにそんな妄想までもが浮かび上がり、いっそう睡眠の邪魔をする。
自分と同じ名前をした殺人鬼。
ひょっとすると、寝ている間に人を殺しているのは私のほうかも知れない。
思考はぐるぐると回り続け、結局春香が眠りについたのは2時だったか4時だったか。
ちょうど18年前、55人が一晩にして消えた時間であった。


811 名前: 春香事件 [sage] 投稿日: 2010/01/15(金) 07:29:11 0
「おっはようございまーす!」
いくら睡眠時間が短かろうと、1時間半も電車に乗っていれば目も覚める。
765プロダクションの事務所に出勤した春香は、いつものように元気にPへ挨拶を投げかけた。
おかしなギャグで返されたが、それで機嫌を損なうようなこともなく「お仕事モード」のテンションに気持ちを切り替える。
今日はミーティングの後、特番の収録現場に移動する手はずになっている。
会議室に向かわなくては。

「……ぇ……お前わかって……おいっ」
と、廊下を急ぐ春香はどこからか聞こえた激しい口調に驚き立ち止まった。
耳を立てると、会議室にほど近い衣装ルームから、怒気を孕んだ声とともにすすり泣きが聞こえる。
明らかにいじめの現場である。
和気あいあいとしたムードで知られる765プロに、こんな人間関係があったとは思いもしなかった。
春香は止めに飛び込む勇気も出ず、かといって一目散に逃げ出すほど臆病でもなく
膝が小刻みに震えているのを自覚しながらも、小さく聞こえる声を無視することができなかった。
「売れ……誰のおかげと……コラっ」
「ううっ、うぐっ……」
くぐもった声。殴られたようである。
どうしよう、助けないと。とっさにひらめいた春香は、大きな物音を立てて驚かせようと廊下の消化器に手をかけた。
「そんなんじゃ……もっと躾を……」
「早……死んじゃえよ、お前なん……」


812 名前: 春香事件 [sage] 投稿日: 2010/01/15(金) 07:32:35 0
「!?」
部屋から聞こえた数人の声に驚き、床に倒しかけた消化器を元に戻す。
1対1じゃないんだ――何人もでよってたかって。酷い。

もはや自分の手に負えるような事ではないようである。
春香は震える膝と歯をどうにか抑えながら、会議室へと走り出した。
しかし、この陰湿ないじめから目を背けた春香が人でなしであるかといえば違うだろう。
彼女もまたアイドルである。地位というものがあるのだ。
誰かをかばって芸能活動をリタイアするなんてことは、絶対にあってはならないのである。
心の中で何度もいじめを受けていた誰かさんに謝りながら、春香は会議室へと急いだ。

「おう、どうした春香?もう始めるぞ」
扉を開けると、Pはすでに企画書とにらめっこを始めていた。
デュオを組んでいる如月千早も一緒である。
いつもの面子に安心したのか、春香の気持ちはふっと和らいだ。
そうだ、私はこんな素敵な人たちと一緒に仕事ができるじゃないか。
ジメジメした暗い話はよそでやらせておけばいいんだ、今は自分にできることをしよう。
持ち前のポジティブ・シンキングで元気を取り戻し、いつもの天海春香の顔に戻っていく。


813 名前: 春香事件 [sage] 投稿日: 2010/01/15(金) 07:36:54 0
今日はとある特番の収録を行う。
某ホテルを訪れるアイドルたちに襲いかかるドッキリの数々!というのが目玉企画だ。
さぞ楽しそうに説明するPと、俗っぽい企画にげんなりした様子の千早。
春香は、ここの所スタジオワークばかり続いていたこともあって、しだいに興味が湧いてきたが……
「あ、でもPさん。ドッキリの数々!なんて言っちゃって、すでに私たちにバレちゃったじゃないですか」
「まあまあ……言うなよ春香。悲しいけどこれテレビなのよね。ヤラセくらい大目に見てくれよ」
「えぇ~?そんなのつまんないですよぅ」
「春香、ドッキリさせられた演技を鍛えると思いましょう」

いつものように会議だかおしゃべりだか判らない会話が終わり、Pはやおら立ち上がった。
「じゃあ、そろそろロケバスが来てるから行くぞ」
「え?局のロケバス使うほど大人数なんですか?うちの会社のバンじゃ……」
「企画書くら読みなさいよ。765プロ大集合って、ちゃんと書いてあるじゃない」

先ほどの記憶が思い出された。
765プロのアイドルが揃うということは、例のいじめに関わった人たちと一緒の収録なのである。
いじめた方と、いじめられた方の両方と一晩をともにしなくてはらないのだ。
そんな空気に耐えられるだろうかと、不安が春香の表情を曇らせる。



831 名前: 春香事件 [sage] 投稿日: 2010/01/17(日) 01:48:26 0
春香たちの乗ったバスが動き出す。
それぞれが担当するPに事前説明を受け、集まったのは7人。
星井美希、秋月律子、菊地真、萩原雪歩、水瀬伊織、そして同じデュオの春香と千早である。
今朝事務所に集まった全員が一堂に会することとなった。
つまり、あの陰湿ないじめを行った複数人は必ずこの中の誰かであるのだ。
早くもギスギスした空気を感じながら、撮影チーフからバスの中で詳しい説明がなされる。

これから向かうホテルで、観光リポートを楽しもうと繰り出すアイドルたち。
だが部屋に荷物を降ろした彼女たちは、ひょんなことから不穏な噂を耳にする――
前にいた宿泊客が、ある部屋で謎の自殺を遂げたというのである。
ある部屋とはまさか、自分のところではあるまいな――と不安におののくアイドルに襲いかかるドッキリ!
その噂話はネタ振りで、ドッキリは彼女ら全員に仕掛けられるのである。

「じゃあ天海さんは……はい、これ」
チーフは春香に、番組タイトルの印刷された冊子を差し出した。
「へ、なんで私だけ……って!私が『仕掛け人』ってことですかぁ!?」

春香よりも他の6人のほうが、驚き顔がオイシイというのが理由らしい。
確かに普段からボケをかましていると自覚している春香にとっては複雑である。


832 名前: 春香事件 [sage] 投稿日: 2010/01/17(日) 01:49:21 0
仕掛けられるドッキリは、いわゆる「寝起き」というやつである。
誰もが寝静まった丑三つ時に、自殺した人間の悪霊が現れるのだ。
仕掛け人である春香は事前にそのセットを見せてもらったのだが、かなり気合の入った造りだった。
こんな血みどろの亡霊に襲われたら、ヤラセだとわかっていても相当怖いだろう。
やられる側でなくて心底よかったと胸をなで下ろす春香であった。

さて、肝心のドッキリの前はグルメリポートの体をとっている。
おどろおどろしい企画とは打って変わって、こちらは明るい昼間の撮影だ。
しかもホテルのレストランでおいしいビュッフェを食べられるとあらば、春香はすっかり上機嫌である。
自らもお菓子をはじめとした料理を趣味にする春香にとっては、得意な仕事のひとつなのだ。
他の者も、高級な洋食店はやりにくいとぼやきながらも、なんの支障もなく撮影が進んでいく。
伊織などはさすがに堂の入ったテーブルマナーを見せていたが、真がそれをいじって笑いをとる。

予定によると、次はこのホテル自慢の予約限定ケーキである。
だがその前に、機材セッティングも兼ねて休憩時間が設けられた。
照明などを運んでこなくてはならないので、30分ほど各々部屋でゆっくりしてくれということだった。


833 名前: 春香事件 [sage] 投稿日: 2010/01/17(日) 01:50:12 0
いったんは部屋に戻った春香だが、脂の多い食事のおかげで喉の渇きを覚えた。
たしかロビーにはジュースの自販機が並んでいたはずである。小銭を握り、再びドアを開ける。

と、廊下の向こうに見慣れた後ろ姿があった。ボブ風に切りそろえた髪は、萩原雪歩のものである。
声をかけようと小走りになった春香だが、急に寒気を感じて立ち止まった。
雪歩がしきりに舌打ちを漏らしているのを聞いたのだ。
そしてイライラを抑えきれない様子で、ガン!とロビーのソファを蹴飛ばした。

これには春香も驚いて、近づくのは止めておこうと判断したのだが、廊下を引き返す前にその雪歩と目が合ってしまった。
「あ、春香ちゃん。お疲れ様」
その口調はいつもの雪歩で、たった今怒りを顕にしていた人物とは思えない。
そのギャップに二重に驚きつつも、ここで逃げるのはばつが悪いと春香もまた缶コーヒーを買ってソファに腰掛けた。
「お疲れ様。なんだか最近忙しくて話せないね」
「うん……でも、お仕事あるのは喜ばなきゃダメって……Pも言ってるし」
ちょっと首をかしげるようにして話すのは雪歩の癖だ。小動物的で可愛らしいと、男性ウケはいい。
だが今は言葉を選ばなければいけないだろう。
変なことで刺激して、さっきのように激昂されては堪らない。

しかし話せば話すほど、普段と変わらない大人しくて優しい雪歩なのである。
隔たれていくギャップに、春香は困惑しきりであった。


834 名前: 春香事件 [sage] 投稿日: 2010/01/17(日) 01:51:02 0
「でもドッキリなんて、雪歩は平気なの?気絶したりしないでよ」
「わ、私だって自信ないけど……前よりは、度胸ついたと思うからっ」
「へえ。じゃあ私もがんばって驚かすから楽しみにしててね!」
「春香ちゃぁん……」

そろそろ収録が再開される。春香と雪歩はそれぞれ現場に戻っていった。
先ほどのテーブルには目にも豪華なチョコレートケーキが1ホール、まるごと置かれている。
台本を読み上げ、このケーキを紹介するのは秋月律子の担当である。
某有名店とのタイアップでオリジナルのケーキを販売したこともある春香にとって、
仕事である以上に興味をそそられる内容だった。
そうするうちに、春香の頭からはモヤモヤとした不安は消えてなくなっていた。

撮影は滞りなく進行し、夜のドッキリまで丸半日の時間ができた。
雪歩と真の2人は細やかなスケジュールが組まれているらしく、一旦東京に帰るらしい。
一方の春香に予定はない。愛するPと、観光地を巡るつもりであった。
彼らのちょっとした打ち合わせが終わるまで、春香は部屋のベッドに寝転がり、ぼんやりと反芻する。


835 名前: 春香事件 [sage] 投稿日: 2010/01/17(日) 01:51:50 0
昼間の雪歩の様子は尋常ではなかった。
その理由とは、今朝春香が目撃したいじめの件の延長であるとしか考えられない。
なにしろ事務所にいたメンバー全員が、この現場に居合わせているのである。
しかし「あの」萩原雪歩である。
彼女が加害者の側だとは、とてもではないが想像できなかった。
元々いじめられがちだった雪歩は気弱な自分を変えるためにアイドルを始めたという。
そんな雪歩が見せたあの荒れた態度に、春香の混乱はさらに深まるばかりだ。

と。トントンと扉を叩く音とともに、千早の呼ぶ声が聞こえた。
部屋へ迎え入れると、千早はどこか居心地が悪そうにそわそわとしている。
「どうしたの?久しぶりにゆっくりしたいって言ってたじゃん」
「え、ええ……そうだったんだけど。どうしても気になって……」
神妙な面持ちに、春香もまた千早の言わんとすることを察した。
「ひょっとして、千早ちゃんも気づいたの?あの……」
「ええ、なんだか様子がおかしいわ。今日の美希は」
「…………え?」

意表をつかれ、間抜けな声が漏れてしまう。


836 名前: 春香事件 [sage] 投稿日: 2010/01/17(日) 01:52:41 0
「美希が……?じゃあ雪歩は……」
そこまで言ってしまい、はっと口を閉じる。
「雪歩も、なの!?……いいわ、お互い知ってることを話しましょう」

――千早の話は、こうである。
春香とともに朝のミーティングを受けた千早は、デスクへ荷物を取りに戻った。
だがその道中、目元を真っ赤に腫らして涙ぐむ美希とすれ違ったというのだ。
衣服はよれて、どんな酷い目に遭ったのかという形相だったらしい。
その後もロケバスや午後の収録中も、しきりに周囲を気にするような様子であったという。

話を聞いた春香はうなずき、今度は自分の目撃した一連のいじめについて説明した。
お互いの情報が合致する。その2つの目撃談から浮かび上がることはただ1つ、
雪歩と数人のグループが、美希にいじめを行っているという推理である。
にわかには信じられないことであるが、そうである以外の考えが及ばないのだ。
朝のいじめの現場では、被害者の声は1つだけだった。
話の前後から考えるに、それは美希であることは間違いないだろう。
雪歩のあの様子が、他人をふみにじる非人道的なものとしてフラッシュバックした。

しばらく2人で侃々諤々やりあっていると、打ち合わせを終えたPが訪ねてきた。
やはり1人では心細いのだろうと察した春香が千早も一緒にどうかと誘うと、二つ返事が返ってきた。
結局いつもの3人組になったが、それはそれで楽しいひとときである。
彼女たちは暗い気分を吹き飛ばそうと街へ繰り出した。





  • 最終更新:2010-01-23 22:18:58

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